やまだやまはなぜ生きるのか

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今日も推しが一人、忽然と姿を消した

どうも山田山です。

 

 

4月29日、「平成」という時代が幕を閉じるその前日に、一人のミュージシャンが活動の休止を宣言した。

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結城リノ

 

 

僕は、彼女の歌が好きだし、彼女の作る映像が好きだし、結城リノというキャラクターが好きだし、彼女を本当に尊敬している。

だが、活動を辞めてしまった。

僕は彼女の活動を絶対に忘れることは無い。

無いけれど、それは薄れていく。絶対に。

 

僕は、幼いころから、好きになったものが失われることにとてつもない恐怖感を抱いている。

中学生のころに好きだった「BLEACH」という漫画。この作品が完結してしまったとき、僕は生きていられるのかとさえ思ったこともあるが、この前完結したこの作品の結末を僕は知らない。それほど興味がない。

今でも「BLEACH」が好きかと問われると、間違いなく好きだと言える。いや、好きだったかもしれない。今では中学生だった頃の僕の記憶を引っぱり出してきて、懐かし話をする程度しか、もう僕はこの作品に対しての知識を持っていない。

中学生の頃は間違いなく「BLEACH」が好きだったのだが、今は「BLEACH」が好きなのではなく、「中学生の頃「BLEACH」が好きだったなぁという思い出」が好きなのかもしれない。

 

よくある話だ。誰だって一回は同じ経験をしてる。

 

僕は「結城リノ」を「思い出」にしたくない。

そう思って、今自分が感じていることを素直に書き出している。

 

 

先日、ミュージシャンとして活躍されていたwowaka氏が亡くなられた時に、wowaka氏や、wowaka氏が作った曲に関するエピソードや想いをSNSに投稿している人をよく見かけて、何故なのかと思ってたんだけど、ようやく何となく分かった気がする。

思い出を語る人、思い出にしないために文字を綴る人、wowakaという人間がこの世に存在したという事実を遺す人。

 

 

僕は、結城リノというキャラクターが存在したという事実を遺したい。

この記事を読んでくれた人と、僕自身に。

より鮮明に。

 

 

 

結城リノというバーチャルキャラクターは姿を消してしまったけれど、彼女は確かにこの世界に生きている。

 

彼女は今日もどこかで間違いなく夢に向かって活動を行っている。

 

 

またいつかどこかで彼女の音楽を聴くことが出来るといいな

 

 

名前も顔も知らない彼女に、この声が届くことを願って。

 

 

 

 

 

結城リノ- virtual singer - - YouTube